矯正のためと言われ、折角萌出した歯牙をいとも無惨に抜去してしまう。患者さんは審美的な要望が強い為、迷うことも少なからずにしてそれに同意する。ある意味では弱みにつけ込んだ説得なのかも知れない。

 よくよく考えてみると、顎堤と歯牙の大きさとの不調和による物で有るにもかかわらず、その顎堤に歯牙を抜去する事で見た目の調和を計ろうとするのには、疑問を抱かざるを得ないし、歪みの解放には、程遠い行為にしか思えない。歯牙の大きさに合わせて顎堤を拡幅する事でさえ、その矯正力は身体にとっては歪みの解放ではなく、歪みを与えているに他成らない。ならば如何にその歪みを吸収できうる心身の許容を築き上げていけるかに掛かってくるのではないかと思う。即ち「食べる、動く、寝る。」の三原則を厳守し、生体の内部及び外部のエネルギーの調和を計ることが不可欠で有る。

 現代食生活の中で失われがちな、前歯で噛み切る、奥歯で擦り潰す、此の二つの顎運動を積極的に取り込んでいくことが肝要である。

 我々歯科医師は、まず噛めないという環境を改善する手助けをし、患者さん自身が「噛む」ということを通して、主体性をもって顎と歯、しいては全身との調和を勝ち取っていくべきではないかと痛感する。数々の口腔内矯正装置は、あくまでも補助的手段であって欲しいと思う。